2024年、日本で初めて東北大学が「国際卓越研究大学」に認定されました。その後、東京科学大学、京都大学も認定を受け、日本には3つの国際卓越研究大学が誕生しました。
新聞やニュースでは、「世界トップレベルの研究大学」「大学ファンド」「約10兆円の基金」といった言葉が数多く取り上げられました。
しかし、その一方で、
「国際卓越研究大学とは何なのか。」
「なぜこの3大学が選ばれたのか。」
「他大学にはどのような影響があるのか。」
まで詳しく説明される機会は決して多くありません。
制度の名前だけを見ると、「研究力の高い大学に多額の予算を配分する制度」という印象を受けるかもしれません。しかし実際には、それほど単純な制度ではありません。
国際卓越研究大学制度は、日本の大学政策そのものを大きく転換する可能性を持つ制度です。
本記事では、制度創設の背景から大学ファンドの仕組み、審査基準、認定大学の特徴、さらには今後の日本の大学に与える影響まで、研究者や大学関係者の視点から詳しく解説します。
国際卓越研究大学とは
国際卓越研究大学制度は、「国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律」に基づいて創設された制度です。
制度の目的は、日本の大学の中から世界トップレベルの研究大学を育成し、その研究力を長期的かつ継続的に高めることにあります。
これまで日本には、科研費をはじめ、JSTやAMEDなど様々な競争的研究費制度が存在してきました。
しかし、それらの多くは数年間の研究プロジェクトを対象としており、大学という組織そのものを長期的に育てる制度ではありませんでした。
例えば科研費は、優れた研究計画に対して研究費を配分する制度です。
つまり、「研究者」や「研究課題」を支援する制度と言えます。
一方、国際卓越研究大学制度が目指しているのは、「研究が継続的に生まれる大学」という組織そのものを育てることです。
この違いは非常に重要です。
研究者一人が優秀でも、その研究者を支える研究環境が十分でなければ、世界最高水準の研究を継続的に生み出すことはできません。
優秀な若手研究者が育つ環境。
海外から研究者が集まる環境。
挑戦的な研究に取り組める環境。
研究設備を継続的に更新できる環境。
こうした「研究を生み出す仕組み」を整備することこそが、この制度の最大の目的なのです。
なぜこの制度が必要だったのか
制度創設の背景には、日本の研究力を取り巻く構造的な課題があります。
近年、「日本の研究力低下」という言葉を耳にする機会が増えました。
その根拠として頻繁に引用されるのが、文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が毎年公表している『科学技術指標』です。
この報告書では、
・論文数
・Top10%補正論文数
・Top1%補正論文数
・国際共著論文割合
・被引用数
など、多くの研究力指標が分析されています。
特に注目されるのが、世界に占める日本の論文シェアの推移です。
1990年代から2000年代前半にかけて、日本は世界有数の研究大国でした。
しかし現在では、中国をはじめとするアジア諸国や欧米各国の研究開発投資が急速に拡大し、日本の順位は相対的に低下しています。
ここで注意しなければならないのは、「日本の研究が急激に悪くなった」という単純な話ではないということです。
例えば中国では、国家戦略として研究開発投資を大幅に増加させています。
研究者数も急速に増えています。
論文数も世界トップクラスです。
つまり、日本が後退したというよりも、世界全体の競争がこれまで以上に激しくなったという側面が大きいのです。
一方、日本国内にも課題があります。
2004年の国立大学法人化以降、多くの大学では運営費交付金の減少が続きました。
その結果、大学は外部資金への依存度を高めざるを得なくなりました。
科研費や共同研究費を獲得しなければ研究を継続しにくい状況が生まれたのです。
また、若手研究者の任期付き雇用の増加も大きな課題です。
博士課程修了後も安定したポストを得られず、短期間の任期付き雇用を転々とするケースが少なくありません。
研究時間そのものが減少しているという調査結果もあります。
教員は教育、管理運営、委員会業務、外部資金申請など多くの業務を抱えています。
研究を行う時間を確保すること自体が難しくなっている大学も少なくありません。
つまり、日本の研究力は、一人ひとりの研究者の能力だけではなく、大学という組織全体の問題として捉える必要があるのです。
国際卓越研究大学制度は、このような構造的課題に対する一つの政策的回答と言えるでしょう。
大学ファンドとは何か
国際卓越研究大学制度の中心となるのが「大学ファンド」です。
大学ファンドは約10兆円規模の基金を運用し、その運用益を認定大学へ配分する仕組みです。
ここで重要なのは、「基金そのものを使う」のではなく、「運用益を使う」という点です。
これは欧米の大学基金(エンダウメント)に近い考え方です。
ハーバード大学やスタンフォード大学など世界有数の研究大学は、巨額の基金を運用し、その利益を教育・研究へ投資しています。
日本でも同様に、長期的かつ安定した研究投資を実現するために大学ファンドが創設されました。
運用は科学技術振興機構(JST)が担っています。
運用益は年度によって変動する可能性がありますが、基本的には元本を維持しながら長期間にわたり支援を継続することが想定されています。
この点が、毎年度予算を確保しなければならない従来型の補助金制度とは大きく異なります。
また、支援対象も研究費だけではありません。
例えば、
・世界最先端の研究設備整備
・海外研究者の招聘
・若手研究者育成
・大学院改革
・国際共同研究
・産学連携
・スタートアップ創出
・研究マネジメント体制の強化
など、大学全体の競争力を高める取り組みが対象となります。
つまり、大学ファンドは「研究費」ではなく、「研究基盤」を整備するための投資なのです。
科研費が「研究課題」を支援する制度であるならば、大学ファンドは「研究を生み出し続ける大学」を育てる制度と言えるでしょう。
認定は研究力だけでは決まらない
「国際卓越研究大学」という名称から、「論文数が多い大学が選ばれる制度」と考える人は少なくありません。
しかし、文部科学省が公表している審査項目を見ると、その理解は必ずしも正確ではありません。
審査では、
・卓越した研究成果
・国際共同研究
・研究環境
・大学改革
・ガバナンス
・財務基盤
・若手研究者育成
・社会実装
・産学連携
・国際性
など、多面的な項目が総合的に評価されます。
つまり、「現在の研究力」だけではなく、「将来にわたり世界トップレベルの研究を生み出し続けられる組織であるか」が問われているのです。
この視点は、従来の競争的研究費とは大きく異なる考え方と言えるでしょう。
東北大学・東京科学大学・京都大学が選ばれた理由
2024年に認定を受けた東北大学、東京科学大学、京都大学は、それぞれ異なる特色を持っています。
しかし、共通している点があります。
それは、「現在の研究成果」だけではなく、「今後も世界トップレベルの研究を継続的に生み出せる組織」であることを示した点です。
| 項目 | 東北大学 | 東京科学大学 | 京都大学 |
|---|---|---|---|
| 認定 | 第1号認定 | 認定 | 認定 |
| 主な強み | 材料科学、半導体、災害科学 | 医工融合、AI、半導体、バイオ | 基礎研究、自由な学風 |
| 国際共同研究 | 非常に活発 | 活発 | 非常に活発 |
| 大学改革 | 積極的 | 統合による新体制 | 独自文化を維持しつつ改革 |
| 若手研究者育成 | 重点施策 | 重点施策 | 重点施策 |
| 社会実装 | 産学連携・半導体 | スタートアップ・医療 | 基礎研究からの展開 |
| キーワード | 世界で戦う研究大学 | 融合型イノベーション | 独創的研究 |
東北大学
東北大学は、日本で初めて国際卓越研究大学に認定されました。
同大学は、材料科学、スピントロニクス、金属材料、半導体、災害科学など、多くの研究分野で国際的な実績を有しています。
一方で、高く評価されたのは研究成果だけではありません。
東北大学は以前から大学改革にも積極的に取り組んできました。
若手研究者の支援制度、研究時間の確保、国際共同研究の推進、産学連携の強化、研究マネジメント機能の充実など、「研究成果を生み出す仕組み」を継続的に整備してきたことが評価されています。
研究大学としての実績と、大学経営の両方が高く評価されたと言えるでしょう。
東京科学大学
2024年10月、東京工業大学と東京医科歯科大学が統合し、東京科学大学が誕生しました。
理工学と医歯学を融合した世界的にも珍しい大学として、新しい研究モデルを目指しています。
AI、半導体、量子科学、医療、バイオテクノロジーなど、今後の成長が期待される研究分野を幅広くカバーしている点が特徴です。
さらに、スタートアップ創出や産学連携にも力を入れており、研究成果を社会実装へつなげる体制づくりが進められています。
従来の大学の枠組みにとらわれず、新しい大学像を提示している点も評価されたと考えられます。
京都大学
京都大学は、日本を代表する研究大学の一つです。
ノーベル賞受賞者を多数輩出してきたことでも知られています。
京都大学の特徴は、「自由の学風」と呼ばれる研究文化にあります。
短期的な成果だけを求めるのではなく、基礎研究を重視し、研究者の自由な発想を尊重する文化が長年受け継がれてきました。
こうした研究文化は、独創的な研究成果を生み出す重要な土壌となっています。
近年では国際共同研究や研究DXにも積極的に取り組んでおり、世界トップレベルの研究大学としての存在感を維持しています。
3大学に共通するもの
3大学を比較すると、研究分野や歴史、組織体制は大きく異なります。
しかし共通しているのは、
- 世界水準の研究実績
- 国際共同研究の豊富な経験
- 若手研究者育成への投資
- 大学改革への継続的な取組
- 研究マネジメント体制
- 将来を見据えた大学経営
を備えている点です。
つまり、「論文数が多い大学」ではなく、「世界で研究を生み出し続けられる大学」が選ばれたと言えるでしょう。
世界大学ランキングとは何が違うのか
国際卓越研究大学制度は、THE世界大学ランキングやQS世界大学ランキングと混同されることがあります。
しかし、その目的は全く異なります。
世界大学ランキングは、教育、研究、国際性、産学連携、被引用数などを一定の指標で比較し、大学を順位付けするものです。
現在の大学の姿を評価する「ものさし」と言えるでしょう。
一方、国際卓越研究大学制度は、将来的に世界トップレベルの大学へ成長するための政策です。
つまり、
ランキングは「評価」。
国際卓越研究大学制度は「育成」。
という違いがあります。
したがって、世界ランキングの順位だけで認定される制度ではありません。
▼大学ランキングに関する記事はこちら

大学改革やガバナンス、財務基盤、人材育成まで含めて総合的に評価される点が大きな特徴です。
海外にも同様の制度は存在する
世界各国でも、研究大学を重点的に支援する政策が進められています。
例えばドイツでは「Excellence Strategy」が実施されています。
優れた大学や研究クラスターへ重点的に投資し、国際競争力を高めることを目的としています。
中国では「双一流(Double First-Class)」政策が進められています。
| 国・地域 | 制度 | 特徴 |
|---|
| 日本 | 国際卓越研究大学 | 大学ファンドによる長期支援 |
| ドイツ | Excellence Strategy | 卓越大学・研究クラスターを重点支援 |
| 中国 | 双一流(Double First-Class) | 世界一流大学・分野を国家戦略で育成 |
| 韓国 | BK21 | 大学院教育・若手研究者育成 |
| 米国 | 大学基金(Endowment) | 大学独自基金の運用益で研究・教育を支援 |
世界一流大学と世界一流学問分野を育成する国家プロジェクトであり、膨大な国家予算が投入されています。
韓国でも「BK21(Brain Korea 21)」によって大学院教育や若手研究者育成が長年支援されています。
つまり、研究力の高い大学へ重点的に投資する政策は、日本だけのものではありません。
国際卓越研究大学制度は、こうした海外政策を参考にしながら、日本版として設計された制度と考えることができます。
他大学への影響
国際卓越研究大学制度は、認定された3大学だけの制度ではありません。
むしろ、日本全国の大学へ与える影響の方が大きいかもしれません。
近年、多くの大学では、
- 研究戦略の策定
- 国際共同研究
- 研究DX
- 若手研究者支援
- ダイバーシティ推進
- オープンサイエンス
- 産学官連携
などが重要なキーワードとなっています。
これらは国際卓越研究大学制度で重視される考え方とも重なっています。
認定を受ける予定がない大学であっても、今後の大学改革ではこうした視点を避けて通ることはできないでしょう。
一方で、制度に対する懸念もあります。
限られた大学へ重点的に投資することで、大学間格差が拡大するのではないかという指摘です。
地方大学では研究者の流出が進む可能性もあります。
研究資源が一部の大学へ集中し過ぎれば、日本全体としての研究力向上につながらない可能性もあります。
| 年 | 主な出来事 | 意義 |
|---|---|---|
| 2004年 | 国立大学法人化 | 大学の自主性・競争性を強化 |
| 2013年 | 研究大学強化促進事業 | 世界水準の研究大学を支援 |
| 2021年 | 大学ファンド創設 | 長期的研究投資の開始 |
| 2023年 | 国際卓越研究大学法施行 | 制度開始 |
| 2024年 | 東北大学認定 | 第1号の国際卓越研究大学誕生 |
| 2025年以降 | 東京科学大学・京都大学認定 | 認定大学が拡大 |
今後は重点支援と裾野の拡大をどのように両立させるかが重要な課題となるでしょう。
制度への期待と課題
国際卓越研究大学制度は、日本の研究政策における大きな挑戦です。
しかし、成功が約束されているわけではありません。
例えば、
大学ファンドは市場運用による運用益を財源としています。
市場環境によっては運用益が変動する可能性があります。
また、「世界トップレベル」とは何を意味するのかという問題もあります。
論文数なのか。
被引用数なのか。
ノーベル賞なのか。
イノベーションなのか。
大学ランキングなのか。
研究力は一つの指標だけで測ることはできません。
さらに、制度の成果は短期間では判断できません。
若手研究者育成や研究環境整備は、成果が現れるまで10年、20年という時間が必要になることもあります。
そのため、短期的な成果だけを求めるのではなく、長期的な視点で制度を評価することが求められます。
「研究力」とは何かを問い直す制度
国際卓越研究大学制度は、単なる大型予算ではありません。
この制度が本当に問いかけているのは、
「研究力とは何か。」
という根本的な問題です。
これまで研究力というと、
- 論文数
- 被引用数
- h-index
- 外部資金獲得額
などの定量的指標が重視されてきました。
もちろん、これらは研究活動を客観的に把握するための重要な指標です。
しかし、それだけで世界トップレベルの大学をつくることはできません。
優れた研究者が集まり、若手研究者が挑戦できる環境があり、異分野融合が進み、失敗を恐れずに新しい研究へ挑戦できる文化があってこそ、新たな知は生まれます。
近年では、研究DXや生成AIの活用、オープンサイエンス、研究データマネジメントなど、研究を取り巻く環境も急速に変化しています。
研究力とは、研究成果だけではなく、それらを支える組織、文化、人材、経営を含めた総合的な力として捉える必要があるでしょう。
▼研究力に関する記事はこちら

国際卓越研究大学制度は、その考え方を日本の大学政策として明確に打ち出した制度と言えます。
認定を受けた3大学だけでなく、全国の大学にとっても、「自大学はどのような研究環境を目指すのか」を問い直す契機となるはずです。
制度の真価が問われるのは、認定そのものではありません。
10年後、20年後に、日本から世界をリードする新しい知やイノベーションが生まれ、それを支える持続可能な研究環境が築かれているかどうかです。
国際卓越研究大学制度は、その未来への長期的な投資であり、日本の高等教育政策における大きな転換点として、今後も注目していく必要があるでしょう。
参考資料・参考URL
文部科学省
国際卓越研究大学制度(制度概要・公募・審査資料)
https://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/daigakukenkyuryoku/kokusaitakuetsu_koubo.html
国際卓越研究大学の認定について(東北大学)
https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/mext_01442.html
法令
国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律(e-Gov法令検索)
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科学技術指標(Science and Technology Indicators)
日本の論文数、Top10%補正論文数、被引用数、国際共著論文割合などを分析した代表的な統計資料です。
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- 文部科学省「科学技術・イノベーション白書」
https://www.mext.go.jp/ - 内閣府「総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)」
https://www8.cao.go.jp/cstp/



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