大学教員パパと科研費

大学関係者にはおなじみの制度に、JSPS(日本学術振興会)が公募している競争的研究資金、通称「科研費」がある。

研究者にとっては研究活動を支える大切な資金であり、毎年多くの研究者が申請書と格闘している。

ありがたいことに、私はこれまで基盤研究(C)の採択をいただいており、今年度はちょうど研究課題の切り替わりの年にあたる。

昨年度まで実施していた研究課題が終了し、新たに採択された研究課題がスタートする。研究者としては嬉しい節目である。

とはいえ、経験豊富な先生方からすれば当たり前のことかもしれないが、まだまだ若手の部類に入る私にとって、科研費の連続採択は今回が初めての経験だった。そのため、春はなかなか忙しかった。

昨年度の実施状況報告書を作成する。

新年度の交付申請書を作成する。

さらに終了課題の研究成果報告書も作成する。

気付けば、4月と5月が一瞬で終わっていた。

研究室の机に向かいながら、

「書類を書いているだけで一日が終わった……」

という日も少なくなかった。

もちろん、愚痴を言うつもりはない。

採択されたからこそ経験できる忙しさであり、研究者としては非常にありがたい悩みである。むしろ私は楽しみながら取り組んでいた。

ただ一つだけ、毎年思うことがある。

大学の業務というものは、科研費の採択者にも不採択者にも平等に降ってくるのである。

授業。

会議。

委員会。

入試業務。

学生対応。

各種申請書。

そして研究。

科研費に採択されたからといって、業務量が減るわけではない。むしろ研究に関する仕事が増える分だけ忙しくなる。

研究者の世界は成果主義と言われることも多いが、日常業務に関してはなかなか平等である。

良い意味でも悪い意味でも。

そんな少し理不尽な現実を感じながら過ごした年度初めだった。それでも、研究を続けられることは幸せなことである。

特に今回、研究成果報告書を作成しながら考えたことがあった。科研費の研究成果報告書は、最終的に国立国会図書館で閲覧できるようになる。また、インターネット上でも広く公開される。私が何か特別に有名な研究者というわけではない。

研究内容も、多くの人にとっては興味のないテーマかもしれない。しかし、自分の名前が記された報告書が、何十年先まで残り続けると考えると不思議な気持ちになる。学生時代の私は、研究成果が後世に残ることなど想像したこともなかった。

しかし今は違う。

研究者として少しずつ積み上げてきた成果が、形として社会に残っていく。それは研究者冥利に尽きることなのかもしれない。報告書を作成しながら、ふと子どもたちのことを考えた。今はまだ小さい我が子たちも、いつか大人になる。

もし将来、

「お父さんはどんな仕事をしていたの?」

と聞かれることがあったら。あるいは偶然、私の研究成果報告書を目にする機会があったら。

そんな未来を少しだけ想像した。

もちろん、その時に研究内容を理解してもらえるとは思っていない。むしろ難しくて途中で読むのをやめるかもしれない。

それでも、「父親はこんなことを考えながら仕事をしていたんだな」と少しでも感じてもらえたら嬉しい。研究という仕事は成果が見えにくい。

毎日コツコツ積み重ねても、すぐに結果が出るわけではない。それでも、自分が積み上げてきたものが記録として残る。

それは研究者にとって、とても大きな意味を持つ。研究者であり、大学教員であり、そして二人の子どもの父親でもある。そんな立場だからこそ、研究成果報告書を作成しながら感じることも少し変わってきたのかもしれない。

さて。無事に報告書も提出した。交付申請も終わった。次は新しい研究課題である。

また数年後にどんな成果が残せるのか。未来の自分と、未来の子どもたちに少しだけ期待しながら、新しい研究を始めようと思う。

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