子供が作ってくれたカレー

パパの料理

今日は日曜日。子供たちを連れて実家へ帰り、じいじとばあばと一緒に何気ない時間を過ごしてきた。特別な予定があったわけではない。ただ、子供たちが庭で遊び、じいじに相手をしてもらい、ばあばがおやつを出してくれる。そんな、昔から変わらない穏やかな週末である。

一方で妻は、子供たちとは別行動。久しぶりにまとまった一人時間を満喫していたようだ。子育てをしていると、一人で自由に過ごせる時間は思った以上に貴重である。普段は子供中心に回る生活だからこそ、たまにはそういう時間も必要なのだろう。

夕方になり、子供たちと家へ戻った。時計を見ると、ちょうど夕食の準備を始めるような時間帯だった。

最近、上の子が料理に興味を持ち始めている。スーパーへ行けば食材を見て質問をしてくるし、家では「何か手伝いたい」と言うことも増えた。包丁を使うにはまだ少し心配な部分もあるが、できる範囲で一緒に料理をする機会を作っている。

そんな流れもあって、今夜の夕食は妻と子供たちがカレーを作ってくれることになった。

もちろん味は甘口である。

私は昔から甘口派だ。大人になると辛口を好む人も多いが、私は今でも甘口のカレーが好きだ。だから子供向け仕様であってもまったく問題ない。むしろありがたい。

しばらくして食卓に運ばれてきたカレーを見て、思わず笑ってしまった。

一般的に「具材がゴロゴロ入ったカレー」という表現があるが、その対極と言ってもいいくらい、野菜が細かく刻まれていたのである。

じゃがいもも人参も玉ねぎも、ほとんどみじん切りに近い。大きな具材はほとんど見当たらない。

理由は簡単だ。

子供たちが野菜を嫌うからである。

特に下の子は、野菜を見ただけで警戒する。緑色というだけで「いらない」と言うことも珍しくない。だから我が家のカレーは、野菜の存在感を極力消した特別仕様なのだ。

しかし、そんな野菜嫌いの子供たちが、自分たちで作ったカレーを嬉しそうに食べている。

それだけでも十分に微笑ましい光景だった。

さらに驚いたのは、その横に置いてあったサラダだった。

普段なら絶対に手を付けないはずの葉物野菜を、子供が自分から口に運んでいる。

最初は偶然かと思った。

ところが一口、二口と食べ進めていく。

「すごいじゃないか。ちゃんとサラダも食べてるね」

そう声をかけると、少し得意そうな顔をした。

そして、さらにもう一口。

褒められたことが嬉しかったのだろう。

また食べる。

こちらが「えらいね」と言えば、また食べる。

その姿を見ながら、なんとも不思議な気持ちになった。

普段はあれほど嫌がるものでも、自分で作った料理になると話が変わる。そして、それを認めてもらい、褒めてもらうことで、さらに前向きな行動につながっていく。

大人からすると単純なようにも見えるが、人間の本質なのかもしれない。

考えてみれば、それは子供だけの話ではない。

大人だって同じである。

仕事で努力したことを認められれば嬉しいし、誰かから感謝されればまた頑張ろうと思う。成果を褒められれば自信になるし、挑戦を評価されれば次の一歩を踏み出しやすくなる。

もちろん、ただ褒めればよいというものではないだろう。中身のない言葉は相手にも伝わる。

それでも、相手の良いところを見つけて言葉にすることには大きな意味がある。

今日の子供の姿を見ていると、それを改めて感じた。

サラダを一口食べただけで大げさに喜ぶ親もどうかと思うが、それでも子供にとっては大きな一歩だったのだろう。そして、その一歩を認めてもらえたことが嬉しかったのだと思う。

食卓には甘口のカレーが並び、子供たちは自分たちで作った料理を誇らしげに食べている。

特別なレストランの料理ではない。

豪華なごちそうでもない。

けれど、今日のカレーはきっと今まで食べたどのカレーよりもおいしかった。

味そのものというより、その中に子供たちの頑張りや成長が詰まっていたからだろう。

何気ない日曜日だった。

実家で過ごした時間も、妻の束の間の一人時間も、子供たちが刻んだ野菜も、食べ慣れた甘口のカレーも、すべてがいつもの日常である。

しかし、そんな日常の中にこそ、成長や発見がある。

そして今日、私は子供たちからもう一つ学ばせてもらった。

人は、やはり褒められて育つ。

子供も、大人も。

その当たり前のことを、夕食のカレーが改めて教えてくれたのである。