「先生って土日は休みですよね?」
研究者という仕事をしていると、時々そんなことを聞かれます。
結論から言えば、土日はあります。
カレンダーにもちゃんと書いてあります。
しかし、現実には「休める日」という意味での土日は、なかなか存在しません。
実はこの記事を書いている今日も、私は大学に来て仕事をしています。
研究者にとって土日は何なのか。
少しだけ、その現実を書いてみようと思います。
平日は「自分の仕事」ができない
研究者の仕事というと、多くの人は研究室で実験をしたり、論文を書いたりしている姿を思い浮かべるかもしれません。
しかし、実際の平日は驚くほど細かい仕事で埋め尽くされています。
会議。
学生対応。
授業。
委員会。
メール対応。
各種申請書。
学内外との調整。
予算管理。
報告書作成。
気が付けば一日が終わっています。
「今日は研究が全然できなかった。」
そんな日が続くことも珍しくありません。
もちろん、これらは大学を運営するために必要な仕事です。
どれも誰かがやらなければならない大切な業務です。
しかし、その結果として、自分自身の研究を進める時間が平日にはほとんど確保できないという状況が生まれています。
土日は「研究者」に戻る時間
だからこそ、多くの研究者は土日に大学へ来ます。
世間から見ると休日出勤ですが、研究者からすると少し感覚が違います。
土日は「本来やりたかった仕事」をする時間なのです。
誰にも邪魔されず論文を読む。
データを整理する。
解析方法を考える。
研究計画を練る。
新しいアイデアを書き留める。
平日には細切れになってしまう思考を、一つにつなげることができます。
研究というものは、集中して考え続ける時間が必要です。
30分だけ空いたから研究しよう、というものではありません。
数時間、時には丸一日、頭の中で一つのテーマについて考え続けることで、ようやく次の一歩が見えてきます。
その意味では、土日は「休日」というより、「研究者としての自分を取り戻す時間」と言った方が近いのかもしれません。
ところが現実はそう甘くない
そう思って大学へ来ても、現実はなかなか思い通りには進みません。
理由は一つ。
メールです。
土日にも大量のメールが届きます。
共同研究。
学会。
行政。
大学内の連絡。
システム通知。
研究費関係。
最近では生成AIの普及もあり、仕事のスピードが以前より速くなりました。
平日に送れなかったメールが土日に送られてくることも珍しくありません。
最初は「月曜日に返信しよう」と思っています。
ところが内容を読んでしまうと、つい返信してしまいます。
返信すると、その日のうちにまた返事が返ってきます。
さらに返信する。
また返ってくる。
こうして土日に予定していた研究時間は、気が付けばメール対応だけで終わってしまうこともあります。
まるで底なし沼です。
一歩踏み入れただけのつもりが、気付けば足元まで沈んでいる。
そんな感覚になることがあります。
私の研究は「地味な作業」の積み重ね
私自身の研究は、派手な実験をする分野ではありません。
データを集め、整理し、整備し、分析する研究です。
例えば研究者名を統一する。
所属を整理する。
データベース同士を対応付ける。
欠損データを確認する。
同じ人物かどうかを一件ずつ調べる。
一見すると単純作業に見えるかもしれません。
しかし、この地道な積み重ねが研究の土台になります。
データが間違っていれば、どれほど高度な統計解析を行っても意味がありません。
入力が間違っていれば、出力も間違う。
いわゆる「Garbage In, Garbage Out」という考え方です。
そのため、私は土日をこうしたデータ整備に使うことが多くあります。
何千件、時には何万件というデータを確認し、少しずつ整えていきます。
決して華やかな仕事ではありません。
しかし、この積み重ねがあるからこそ、新しい知見を見つけることができます。
研究成果とは、最後のグラフや論文だけを指すものではありません。
その裏側には、誰にも見えない膨大な下準備があります。
本当に必要なのは「何もしない時間」
研究者は働き過ぎだと言われます。
確かにその通りだと思います。
ただ、研究者本人が仕事好きだから働いているという単純な話でもありません。
考える時間が必要だからです。
実は、何もしていない時間に良いアイデアが浮かぶことは少なくありません。
散歩をしている時。
コーヒーを飲んでいる時。
車を運転している時。
全く違う本を読んでいる時。
そうした余白の時間が、新しい発想を生みます。
だから、本来の土日は「仕事をしない時間」であるべきなのかもしれません。
休むことで頭の中が整理され、新しい研究につながる。
それも研究活動の大切な一部です。
それでも今日も大学へ向かう
それでも私は今日、大学へ来ています。
メールを返しながら、データを整理し、解析方法を考えています。
きっと来週も同じように仕事が始まります。
そしてまた次の土日がやってきます。
研究者に土日はあるのでしょうか。
制度上はあります。
カレンダーにも書かれています。
しかし、現実には「研究を取り戻すための時間」であり、その時間すら仕事に浸食されていくことも少なくありません。
だからこそ、私は最近、「休むこと」も仕事の一つなのではないかと思うようになりました。
良い研究は、長時間働いた結果として生まれるとは限りません。
十分に考え、十分に休み、そしてまた考える。
その繰り返しが、少しずつ新しい発見につながっていくのだと思います。
もしこの記事を読んでいる方の身近に研究者がいたら、土日に大学へいる姿を見ても「仕事熱心なんだね」と思うだけではなく、「平日に研究する時間が取れているだろうか」と想像してみてください。
研究者にとって土日は、単なる休日ではありません。
未来の研究を少しだけ前へ進めるための、大切な時間なのです。
究活動の大切な一部です。
後輩研究者の育成ができれば
もう一つ、最近強く感じていることがあります。それは、若手研究者を育てる時間が失われつつあることです。
研究は、一人で完結するものではありません。先輩研究者が経験を伝え、後輩がそれを受け継ぎ、さらに新しい知見を生み出していく。その積み重ねによって、大学の研究力は維持されてきました。
しかし、現在はその土台が少しずつ揺らいでいるように感じます。
近年、「研究者不足」という言葉を耳にする機会が増えました。
地方国立大学では、公募を出しても以前ほど応募者が集まらないという話は珍しくありません。
ようやく公募できたとしても、希望する専門分野の人材が見つからないこともあります。
一方で、そもそも公募すら出せないケースも増えています。
背景には、運営費交付金の減少があります。
国立大学協会声明「我が国の輝ける未来のために」(令和6年6月7日)
https://www.janu.jp/wp/wp-content/uploads/2024/06/kokudaikyou-saimei.pdf
大学は限られた予算の中で教育、研究、地域貢献、施設維持など、あらゆる役割を担っています。
そのため、人件費を新たに確保すること自体が難しくなっています。
若手研究者を採用したくても、そのための財源がない。
この状況は、一つの大学だけの問題ではなく、多くの地方国立大学が直面している課題ではないでしょうか。
人が減れば、一人当たりの仕事はさらに増えます。
教育、研究、大学運営。
それぞれの負担が重くなれば、今度は後輩を育てる余裕がなくなります。
そうなると、次の世代が十分に育たず、さらに人材不足が進む。
まるで静かに回り続ける負のスパイラルです。
もちろん、大学はこれまでも数々の困難を乗り越えてきました。
だから今回も、何らかの形で道は切り開かれるのだと思います。
それでも、一人の研究者として考えてしまいます。
10年後、20年後の地方国立大学は、どのような姿になっているのでしょうか。
研究を志す若者が集まり、先輩が後輩を育て、新しい研究が次々と生まれる場所であってほしい。
そう願う一方で、現場で働く私には、小さな不安が消えません。
育成時間も必要ですので、そこを短縮するためにもマインドマップ的な記事を書いていたりします。

「地方の国立大学は、この先どうなってしまうのだろう。」
今日も大学でデータを整理しながら、そんなことを考えていました。



コメント