子どもが生まれる前、私は典型的な大学教員・研究者だったと思う。
平日は授業や会議が終わった後に研究室へ戻り、夜遅くまで論文を読んだり原稿を書いたりしていた。休日も気になるテーマがあればパソコンを開き、思いついたアイデアをメモしながら研究を進めていた。
社会科学の研究は、実験設備が必要な分野と比べれば時間や場所の制約が少ない。パソコンと文献があれば、自宅でも研究室でも作業ができる。そのため、「時間があれば研究をする」という生活が自然になっていた。
しかし、子どもが生まれてから、その前提は大きく変わった。
研究への情熱がなくなったわけではない。むしろ以前よりも研究の面白さや社会的意義を強く感じるようになった。
ただ、研究との向き合い方は間違いなく変化したのである。
「自由に使える時間」がなくなった
子どもが生まれる前は、自分の時間を自分の意思で自由に使うことができた。
仕事が終わった後、
「今日は論文を2本読もう」
「この週末は科研費申請書を書こう」
と思えば、そのまま実行できた。
もちろん大学教員の仕事は忙しい。しかし、自分の時間をある程度コントロールできるという意味では恵まれた環境だったと思う。
ところが子どもが生まれると状況は一変する。
保育園の送迎。
食事の準備。
お風呂。
寝かしつけ。
夜泣きへの対応。
休日の遊び相手。
どれも大切な時間であり、親として当然の役割である。
しかし研究時間という観点から見ると、まとまった時間を確保することが難しくなる。
以前なら3時間続けて論文を書けた夜も、今では30分で中断されることがある。
休日の午後を丸ごと研究に使うこともほとんどなくなった。
最初は正直戸惑った。
「研究が進まない」
「以前より生産性が落ちている」
そんな焦りを感じることもあった。
しかし今振り返ると、その変化は決して悪いことではなかったと思っている。
長時間労働が成果を生むわけではない
子育てを始めて気づいたことがある。
それは、
長時間研究していることと、成果が出ることは必ずしも同じではない
ということである。
独身時代や子どもがいない頃は、時間がある分だけ研究をしていた。
もちろんそれは悪いことではない。
しかし振り返ると、集中していた時間よりも、なんとなく文献を眺めたり、なんとなくパソコンの前に座っていた時間も少なくなかった。
一方で子育てが始まると、研究に使える時間は限られる。
だからこそ、
- 今日は何をやるのか
- どこまで進めるのか
- 優先順位は何か
を以前より明確に考えるようになった。
例えば、朝の1時間。
以前なら「時間があるから研究する」だった。
今は「この1時間で査読コメントへの回答を3項目進める」というように目標を具体化する。
結果として、短い時間でも意外と仕事が進む。
子どもが生まれたことで、研究時間は減ったかもしれない。
しかし研究の密度は高くなったように感じている。
「完璧」を求めなくなった
研究者という職業は、どうしても完璧主義になりやすい。
論文を書くときも、
「もっと良い表現があるのではないか」
「もう少し分析を追加した方がいいのではないか」
と考えてしまう。
もちろん研究の質を高めることは重要である。
しかし子育てを始めると、すべてを完璧にこなすことは不可能だと痛感する。
仕事も完璧。
研究も完璧。
家事も完璧。
育児も完璧。
そんなことはできない。
どこかで折り合いをつける必要がある。
これは研究にも良い影響を与えた。
以前なら100点を目指してなかなか投稿できなかった論文も、
「まずは80点で出してみよう」
と考えられるようになった。
社会科学の研究は、論文を世に出して議論を重ねることにも意味がある。
完璧を待つより、まず一歩前に進めることの大切さを子育てから学んだ気がする。
長期的な視点で考えるようになった
研究も子育ても、成果が出るまでに時間がかかる。
社会科学の研究では、研究計画を立ててから論文が掲載されるまで数年かかることも珍しくない。
科研費の申請も同じである。
準備して応募しても、不採択になることもある。
それでも挑戦を続けなければならない。
子育ても似ている。
今日教えたことが、明日できるようになるわけではない。
何度も失敗しながら少しずつ成長していく。
その姿を見ていると、
「成果を急ぎすぎてはいけない」
と思うようになった。
若い頃は、
- 何本論文を書いたか
- どの雑誌に掲載されたか
- どれだけ研究費を獲得したか
といった短期的な成果を意識することが多かった。
もちろん今でも重要な指標である。
しかし子どもの成長を見ていると、
人生はもっと長いスパンで考えるべきなのではないかと思う。
研究者人生もまた長距離走なのである。
社会科学研究者として感じること
私は社会科学の研究に携わっている。
社会制度や組織、人々の行動を研究する中で常に感じるのは、人間は予測通りには動かないということである。
統計的には説明できても、個々人にはそれぞれの事情がある。
平均値だけでは見えない現実がある。
子育ても同じだ。
育児書や研究論文には多くの知見が書かれている。
それらは非常に参考になる。
しかし、目の前の子どもは平均値ではない。
その子だけの個性がある。
その日の気分がある。
その家庭ならではの環境がある。
研究者としてエビデンスを大切にしているからこそ、
「データだけでは語れない世界」
があることも理解できるようになった。
これは子育てを通じて得た大きな学びの一つである。
子どもが教えてくれた本当に大切なこと
子どもが生まれる前、研究は私の人生の中心だった。
今でも研究は大好きである。
新しい発見があったときの喜び。
論文が掲載されたときの達成感。
学生の成長を見たときの嬉しさ。
どれも大学教員という仕事の魅力だと思う。
しかし子どもが生まれてから、その価値観は少し変わった。
研究は人生の重要な一部である。
けれど人生のすべてではない。
子どもと一緒に公園で遊ぶ時間。
初めて言葉を話した瞬間。
家族で食卓を囲む何気ない日常。
そうした時間もまた、研究成果と同じくらい、あるいはそれ以上に大切なものだと感じるようになった。
不思議なことに、そのように考えるようになってからの方が研究も楽しくなった。
研究だけに人生の価値を求めなくなったからかもしれない。
おわりに
子どもが生まれて、研究時間は確かに減った。
以前のように自由に時間を使うことはできなくなった。
しかしその代わりに、
- 限られた時間を有効に使う力
- 完璧を求めすぎない考え方
- 長期的な視点
- 人間への理解
を得ることができた。
社会科学の研究者として、そして父親として日々感じるのは、人の成長には時間がかかるということである。
研究もそうだ。
子育てもそうだ。
だからこそ焦らず、一歩ずつ前に進んでいきたい。
子どもが生まれたことで研究人生は変わった。
しかしそれは、研究を諦める方向ではなく、研究をより豊かにする方向への変化だったのかもしれない。



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